2023.01.29 (Sun)
銅像クイズ149 in 玉造稲荷神社

玉造稲荷神社
※画像をクリックすると、大きな写真を見ることができます。
大阪市、JR環状線の玉造駅から歩いて6分のところにある「玉造稲荷神社」に行きました。
近くの高校に通っていたのに、この神社に行くのは初めてです。
上の写真だと、入り口は狭いのですが、歴史のある神社です。

玉造稲荷神社 本殿
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ここで、銅像に出会いました。
下の写真の男性です。さあ、誰でしょう?
この場所にある銅像なので、何かしらこの土地にゆかりのある人物です。
そう言われたとしても、、今回は、かなり難しいかも……。

銅像クイズ
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豊臣秀頼像
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豊臣秀吉の息子、豊臣秀頼(1593~1615、23歳没)です。
ウィキペディアによれば……、
(この神社は)豊臣大坂城の三の丸に位置し、その鎮守社として豊臣家から篤い崇敬を受けた。戦国時代の天正4年(1576年)の戦火で荒廃してしまっていたが、慶長8年(1603年)に豊臣秀頼により社殿や高殿(舞台)が再建された。しかし、慶長20年(1615年)の大坂夏の陣で社殿は再び焼失した。
秀頼と母・淀君を結ぶ胎盤、卵膜が埋まっているという場所もありました。

秀頼公胞衣塚(よなづか)大明神
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伊勢迄歩講起点
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この神社の境内はそう広くはないのだが、「歴史がいっぱい詰まっている」感じがします。
たとえば、江戸時代には、ここが伊勢参りの出発点とされていたそうな。
「出発点」という意味がよくわからないのだが、それを示す「碑」があった。
伊勢参りに伴う旅行を安全に進めるための工夫が、ここ玉造から始まったそうです。

千利休が使ったという井戸
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まだあります。
一回のブログで紹介するのは、分量が多すぎるくらいです。
上は、千利休が使ったという井戸。
豊臣時代の千利休は、この神社の南に屋敷を構えていたそうです。
ほかにも……、「玉造」という地名からわかるように、このあたりでは「勾玉」が作られていました。
ここには、「難波・玉造資料館」があります。
また、小野小町の歌碑、近松門左衛門の『曽根崎心中』の碑など、見所が満載です!
玉造稲荷神社のURL、「inari」です。「tamatsukuri」がありません。
全国に稲荷神社はたくさんあると思われるのに、これって、すごいですよね。
玉造稲荷神社
https://www.inari.or.jp/
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星田直彦 |
2023.02.01(水) 21:40 | URL |
【編集】
前後の鶴橋か森の宮たで下車することが多いので、玉造はエアポケットです!
玉造はラーメン激戦地なので、ラーメン好きは食べ歩きをおすすめします!
大河の真田丸の時は、ここと先の三光神社が賑わってましたね!
玉造はラーメン激戦地なので、ラーメン好きは食べ歩きをおすすめします!
大河の真田丸の時は、ここと先の三光神社が賑わってましたね!
アンギラス |
2023.01.31(火) 14:14 | URL |
【編集】
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玉造がラーメン激戦地とは、知りませんでした!