2019.11.05 (Tue)
横浜・馬車道

横浜・馬車道
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中村雅俊の『恋人も濡れる街角』の歌詞の中に、「馬車道」が登場する。
横浜には、修学旅行で中学生を何度か引率してきているし、後に自分自身が横浜に住むことになったのだが、「馬車道」を意識して歩くのは、これが初めてだった。
「馬車道」といっても、現在では、馬車を見かけることはない。車止めやマンホール、ベンチに「馬」を見つけられるくらいだ。
しかし、こういう名前が残っているのだから、当然、馬車が走っていたのだろう。
すこし、調べてみた。
馬車が走っていた頃の「痕跡」もご覧ください。

「馬」がいる!
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「馬」がいる!
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横浜開港後、関内のあたりは外国人の居留地だった。
1866年の大火事で、街の大部分を消失。
その後の都市計画の中で、外国人からの「馬車が通れる道にしてほしい」との要望を受けて、この道が整備されたのだそうだ。
やがて、「待合馬車」というシステムが誕生。「乗り合いバス」みたいなものだな。最初は外国人が経営していていたのだが、やがて、日本人も参入。日本橋までを4時間で結んだそうだ。
馬車道の隣の筋に、「牛馬飲水槽」が残されていた。

牛馬飲水槽
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